代表エッセイ⑤麻薬中毒者ポーラ

こんにちは。ダイヤモンド・フォー・ピース(DFP)代表理事の村上です。当法人を立ち上げたきっかけ等について、エッセイを書いています。

第1回「1枚の写真が人生を変えた!?」はこちら:https://diamondsforpeace.org/essay1/

第2回「私の価値観を変えたのは…」はこちら:https://diamondsforpeace.org/essay2/

第3回「ハイチで事件勃発」はこちら:https://diamondsforpeace.org/essay3/

第4回「ヨハネスブルグで出逢った少女たち」はこちら:https://diamondsforpeace.org/essay4/

 

ヨハネスブルグでは、ンタビセンの他にも、ボランティアしていた団体が運営する家によくやってくる女性達と仲良くなりました。その一人がポーラ、白人、23歳。茶髪のショートカットが似合う女性でした。

ポーラはダーバンという港町出身の子です。なぜヨハネスブルグにやって来たのでしょう?他の女性達もほぼみんな同じ理由なのですが、「親とケンカして家出した」と言うのです。他の女性達にも話を聞いたところ、みなさん軽い気持ちで家出するようです。そして、家出した子達が向かうのは、大都市ヨハネスブルグ。ヨハネスブルグに不安な気持ちで到着すると、彼女たちは売春婦の元締めに声をかけられます。

「おなかすいてるでしょ。ご飯をごちそうするよ」言われ、「なんていい人だろう!」と思うのもつかの間、元締めは彼女達を麻薬漬けにし、薬を買うために売春しないといけない状態にするのです。

一度麻薬中毒になってしまうと、抜け出すのは本当に大変です。
ポーラは私がボランティアしていた団体が運営する家で働きたいと言ったので、代表者が「麻薬をやめるなら、働いてもいいよ」と条件付で許可しました。

ポーラは一週間毎日オフィスに来て、電話をとったり訪問してくる女性達の相手をし、かいがいしく働いていました。そんな彼女の一生懸命な姿を見て、私も嬉しい気持ちでした。

それが一週間後、突然オフィスに来なくなったのです。スタッフ達が心当たりを探しましたがどこにもいません。みんな、心配していました。

5日くらいたってから、疲れた様子のポーラが突然姿を現しました。
「どうしてたの?どこにいたの?みんな心配していたよ」と聞く私に、彼女の返事は、「薬やってた」でした。
やめたい、やめなくちゃいけないとわかっていても、一度中毒になってしまうとやめられないのが麻薬のようです。

私がボランティアをしていたこの団体は郊外に農場を持っていて、そこを麻薬中毒からのリハビリ施設と位置づけていました。定期的に女性参加者を募り、農場に連れて行き、共に生活し麻薬からの脱却を図ります。

でも、麻薬から抜け出せる人はほんのわずか。
まず、参加表明しても当日の朝迎えに行くと、「やっぱり行かない」と言ったり、所在がわからなくなっているケースが半分くらいありました。農場までたどり着いたとしても、麻薬欲しさに脱走する人がほとんどです。相当の覚悟ややめる理由がないとリハビリを完了するところまで行けないのです。

麻薬中毒になってからでは遅い、予防するのが一番大切だと思いますが、人を麻薬中毒にさせようとする人が多いこのような社会では、本当に大変なことだと思います。

麻薬がどんどん身体をむしばんでいく。
やめたくてもやめられない。
実家に帰りたくても帰れない。

ポーラは今、生きているのでしょうか。

※残念ながら彼女の写真はありません。

 

冒頭写真:イメージ写真(著作権フリー)