多くの命を奪ったエボラウイルス病が次第にリベリアから去っていく中、住民は複雑な心境にあります。ある人はエボラウイルスが、かつて感染をもたらした国に繰り返しやって来た長い歴史があることについて懸念しています。コンゴ民主共和国がその例であるといいます。コンゴで最初にウイルスが見つかったのが1976年で、それから4回にわたり感染が報告されています。一方で、ほとんどのリベリア人、特に敬虔さを自負する人々は、このウイルスの発生は神が国民に罪の報いであるということを教えるための罰であると考えています。彼らは、リベリアでは年々、悪事が増えていると感じています。富や財産を得るための殺戮、同性愛や蔓延する政治的腐敗などが神の怒りに触れて、神は死のウイルスをリベリアに送ったのだといいます。2015年1月、サーリーフ大統領の全国民への演説において、政治的腐敗を吸血鬼であると発言したことが思い出されます。したがって、彼らは国民が神の意思に反する愚行を悔い改めればエボラが再びリベリアで勃発することはないと考えているのです。
保健医療当局と災害対策の専門家は小まめに手洗いをすること、握手や野生動物の肉を食べるのを避けることなどウイルスの拡散を防ぐための安全管理方法を守るように継続的に注意を喚起しています。彼らは国民のエボラに対する見方について、肯定も否定もしていませんが、リベリア国民がこれらの簡単な衛生管理方法を守れば、再びエボラが勃発することはないであろうと考えています。
世界保健機関(WHO)の出した最新のリベリアにおけるエボラの統計によれば、リベリア国内では4573人の人が死亡しています。その内3151人が検査でウイルス陽性であったことが確認されています。ともあれ、この記事の焦点は、エボラの発生件数の減少とリベリアが、2015年5月にエボラからが終息したと宣言されてもなお、この継続的な減少傾向を維持することができるのかということです。この問題の背景には、シエラレオネ、ギニア、リベリアの3つの国に共通した文化と伝統的慣習があります。これらの国の国境は、検査なしで誰でも簡単に越えて移動出来るようになっています。例えば、リベリアにはギニアとの国境をまたいで農業をする人がいます。また、シエラレオネの国境沿いの住民のほとんどが、しばしば診療サービスを求めてリベリアを訪れていることが報告されています。リベリアでは、新たなエボラの発生は報告されていませんが、ギニアやシエラレオネではいまだ感染の報告が続いています。このことは現在、リベリアのエボラ治療施設にエボラの患者がいないからといって、リベリアがエボラウイルスから完全に安全になったとはまだ言えないということを示しています。私が訪ねたETU(エボラ治療施設)の一つで、サミュエル・K・ドゥースポーツセンター構内にある中国のETUの看護師も施設内にエボラの患者はいないが、その他の疾患でも2名の患者しか受け入れていないことを明らかにしました。
リベリアが、エボラウイルスから完全に解放されるかどうかは、リベリア国民のシエラレオネとギニアの友人との日常的な関わりにかかっているのです。通常の生活が徐々に戻るにつれて、ほとんどの人がウイルスによって引き起こされた惨事をすぐに忘れてしまうようです。一部の学校や施設、会社に加えて、家庭内では95%もの家庭が、すでに手洗いのためのエボラ対策のバケツをおいていません。ほとんどの人々が徐々に握手やハグをするようになっていき、文化的・伝統的な儀式も再開するようになってきています。さらに、前述の3つの国の人々は、再び国境をまたいだ取引を行うようになっています。今回の感染拡大のように、ギニアからたった一人の感染した女性がリベリアの*ロファ州へ入った結果、多くの命が奪われたという事実を忘れてしまっているのです。政府は国民に対して、安全のためには、予防策をすぐには緩めるべきではないと呼びかけています。
*ロファ州:リベリア北西部のギニアとシエラレオネと国境を接した場所に位置する。
写真:サミュエル・G・コリンズ