ブッカー・ワシントン職業訓練校とエボラ

エボラウイルス感染拡大を防ぐため、リベリア政府は昨年度、国内全ての学校を休校とする措置を取りました。首都モンロビアから北に約70kmに位置する都市カカタにある農業と工業の職業訓練校ブッカー・ワシントン校もそのひとつでしたが、2015年3月28日には、延期されていた昨年度の卒業式を行うことができました。
当初、学生や教員その家族らは、政府の決定に不満を抱いていました。しかし、日々エボラによる死亡者数が増加。ウイルスはリベリアの都市カカタとマギビ州において猛威を振るい、特に、モンセラード州ペインスヴィルにあるELWAエボラ治療施設では、12名以上の看護師が亡くなりました。この事態を受けて次第に人々は政府の先見性に理解を示しはじめました。同校の学生の中にも死亡者が出ており、6名の卒業生が命を落としたと伝えられています。(ただし、エボラ治療施設以外の場所で死亡した犠牲者が多いため死因がエボラだと断定できないケースが少なくありません。)
いずれにせよ、多くの人々がようやく卒業式を迎えられたことを喜んでおり、とりわけ、学生とその家族、教員らが嬉しさのあまり抱き合っている姿が印象的でした。皆、エボラが国内で未だ収束していないことを忘れているかのようでした。エボラ発生前と変わらない様子で民族舞踊が披露され、人々はその華麗なパフォーマンスを見逃すまいとしていました。一方、亡くなった犠牲者の死を悼み泣いている人も見かけました。
330名の学生が、農業・ビジネス教育・設計・建築・自動車修理・家政学等様々な分野で学位を取得し卒業していきました。同校は4年制で、2年の中等教育と2年の職業訓練を受けたのち西アフリカ試験協議会が実施する試験に合格すると卒業となり、今回の卒業生はその課程を無事修了したことになります。
最後に、同校設立の歴史をご説明しましょう。
歴史を紐解けば、1924年キング元リベリア大統領が米国に公式訪問した際、ある記者が元大統領にリベリアに持ち帰りたいものを尋ねたと言います。回答は「もし叶うのならば、タスキーギー職業訓練校です」。つまり、リベリアにそれと同等の学校を設立したいとおっしゃったのです。同年、米国の慈善家オリビア・フェルプス・ストークス女史が融資を申し出ました。そして1929年に、ブッカー・T・ワシントン*の教育理念を受け継いだ精神・熱意・技術を有する人材を養成するための学校が産声をあげたのです。
同校は80年以上存続し、リベリアの人間開発に大いに貢献してきました。しかしながら、長年に亘る内戦はそれを荒廃させ、以前のインフラや人的資源を回復するには多大な資金や人手が必要とされています。1997年の学校再開以来、財団による限られた資金を頼りに市民から寄せられる多くの要望に何とか応えている日々です。

今後リベリア復興のために、大切なのは人材育成です。教育の重要性を理解されている皆様、今、ブッカー・ワシントン校は、助けを求めています。

*:ブッカー・T・ワシントンはアメリカ合衆国の教育者、作家。アラバマ州タスキーギに設立された黒人のための職業訓練校の校長を務めた。

 

One of the graduates under the monument Booker T. Washington Himself Happy Family Members performing the usual traditional dance outside BWI graduational Hall
卒業を喜ぶ人々

写真:サミュエル・G・コリンズ