こんにちは。ダイヤモンド・フォー・ピース(DFP)代表理事の村上です。当法人を立ち上げたきっかけ等について、月1回エッセイを書いています。
第1回「1枚の写真が人生を変えた!?」はこちら:https://diamondsforpeace.org/essay1/
第2回「私の価値観を変えたのは…」はこちら:https://diamondsforpeace.org/essay2/
アメリカの大学院をなんとか卒業した私は、幸運にもハイチで頂いたご縁で、半年程調査のお仕事を頂きました。ハイチに到着して半月後、ハイチ人姉妹とルームシェアすることになりました。ハイチ人姉妹との生活は、事件の連続!一番思い出深い事件を紹介します。
事件勃発
私たちは週末、よくビーチに遊びに行っていました。ハイチの海は透明度の高いカリブ海なので、本当にきれいです。ハイチがフランス植民地だった頃は、ヨーロッパから観光客が押しかけてきたそうです。お気に入りのビーチまでは車で約二時間。首都を抜けて海沿いをずっと走っていきます。そしてバナナ畑を目印に左折すると、一気に海が広がりテンションはマックス!
その日はルームメイト姉妹と仲良しのアメリカ人四人家族、アメリカ人男性、私の計八名でビーチで遊んでいました。夕方になり、車二台で帰途につき、私は二台目に乗車することに。
途中、車のスピードを落とさせるために道路が盛り上がっている箇所(スピードバンプと言います)があり、前の車がそこで少し止まっていました。二台目の私は気付かなかったのですが、一台目がスピードバンプで停車した時、自転車に乗っていた地元のハイチ人男性と接触し、ハイチ人が転んだそう。一台目に乗っていたアメリカ人が大丈夫かどうか聞いたところ、自転車のハイチ人は大丈夫だと言ってそのまま立ち去ったそうです。
ところが、そこから一キロ程車を走らせたところ、回転灯をのせたぼろぼろな車が、後ろからものすごい勢いでやってきたのです。私が乗っていた車を抜き、前の車を追いかけている様子。そして一台目を追い抜くと、今度は一台目の車に邪魔をするのです。なぜそんなことをされるのかわからない一台目はその車を追い抜こうとしましたが、ぼろぼろな車はそれをゆるさず、カーチェイス状態。うしろからその様子を見ていた私たちは、何が起きているのかわかりませんでした。前の二台がカーチェイスをしばらく続けると、道路わきにいる現地の人々が、石を持ってこちらを見ているのに気付きました。
しばらくして前の車が停車しました。私たちの車はその後ろに停車します。そうすると、石を持ってこちらを見ていた現地の人達百人くらいに私たちの二台は取り囲まれました。野次馬も、どんどん集まってきます。
「これはヤバい。投石されてここで死ぬのか」
と思いましたが、どうすることもできません。
一台目に乗っていた人の情報では、さっきスピードバンプで自転車に接触したのを、このぼろぼろな車を所有する「自称警官」が見ていて、
「白人が事故を起こしたのに逃げた。けしからん!」
と追いかけてきたそうです。
一台目の人達は、
「自転車の男性が大丈夫と言って、立ち去った」
と主張したのですが、自称警官は聞く耳を持ちません。心の中で「ハイチを搾取してる外人たちめ」と思ったのかもしれません。
すったもんだして、そこに30分くらいいたでしょうか。ちょうどそこに、ルームメイトのハイチ人上司が通りかかりました。この上司が仲裁してくれ、1台目を運転していた人と追いかけてきた自称警官が近くの警察署に行くことになったのです。そして警察署の前に待たされること約一時間。辺りはだんだん暗くなり、雨がポツポツ降ってきて、みんな心細い気分でした。
結局、運転していたアメリカ人が、警察官と一緒に自転車に乗っていた男性を探しに、村に行ったそうです。でもその男性は見つからず、男性のお父さんに会ったそう。お父さんにアメリカ人が、
「さっきスピードバンプで自転車と接触したけど、息子さんは大丈夫だと言って立ち去った」
と言うと、お父さんは、
「知っている」
との返答。さらにアメリカ人が、
「自転車が壊れたかもしれないので、少しお支払したい」と申し出ると、
「じゃ、五百ドルくれ」
とのこと。さすがに500ドルも持ち歩いていないので、持っていた200ドル(当時約22,000円)を渡して手を打ったそうです。
自称警官はお金が欲しくて追いかけてきたのでしょう。
途上国では事故を起こすと、地元の人に過失があったとしても、基本、外国人のせいになりますので、気をつけないといけません。
投石で死ななくてすんで、よかった~!
黒人100人くらいに石を持って車を囲まれるのは、もうごめんです。
冒頭写真:ハイチで出逢った子ども達(村上撮影)