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代表エッセイ①「一枚の写真が人生を変えた!?」

こんにちは。代表理事の村上です。なぜこの団体を始めたの?なぜこの活動をしているの?というご質問を時々頂きます。より多くの方にDFPやDFPが目指す世界について知って頂きたいという思いから、月1回、エッセイを書いていきます。

今日は、ダイヤモンド・フォー・ピース(DFP)を設立するもっともっと前のお話。なぜ国際協力に興味を持ったのか?について書こうと思います。

私は小さい頃から、「将来は外国で仕事をしたい」と海外で仕事することを夢見ていました。なぜ?と聞かれるとちょっと困るのですが、小学生の時に隣の家に住んでいた一家がニューヨークに転勤し、それに憧れたからかもしれません。

同時に、将来は自分で事業を起こしたいとも考えていました。これは、父が経営者だったことが大きな要因だと思います。子どもの頃は大変厳しい両親でしたが、高校、大学へと進学するにつれ、自分の進みたい道に進み、やりことを自由にさせてくれる、そんな家庭でした。

そのため、大学では経営学科に進学。と言えば聞こえはよいのですが、本当は国際関係の学部があれば進学したかったのです。エスカレーター式の学校に高校から入った私は、大学受験を想定していなかったため(しようと思ってもできないくらい、勉強しなかった高校時代…)、併設の大学の学部から進学する学科を選ぶことになりました。併設の大学に国際関係学部は無かったので、経営学科を迷わず選択!当時、女子には経営学科はあまり人気がなかったので、成績がよくなかった私でもすんなり決まったのでした。ほっ。

あれは大学2年生くらいの頃だったと思います。アフリカのスーダンで飢餓がおき、新聞の国際面や社会面に大きく取り上げられていました。その中で私の心に最も訴えかけたのが、ケビン・カーター氏に撮影された「ハゲタカと少女」の写真。(ケビン・カーター氏はその写真でピューリッツァ賞を受賞。しかし、世間では「なぜ少女を助けなかったのか」と非難が巻き起こったのでした)。

ハゲタカと少女
「ハゲタカと少女」写真のイメージ(村上の友人が作成)

地球の裏側で起きているこのような写真や記事を目にする度、なぜ生まれた場所が違うだけで、人の人生がこんなにも変わってしまうのか、なぜ自分はスーダンのあの子ではなく、自分として今ここに生きているのかを問いかけられているような気がしました。

自分の環境を振り返ってみると、食事をとれない日はなく、学校も進学したい学校を自分で選ぶことができたのは、本当に幸運なことだと気づきました。同時に、私は「毎日心配しなくても、ご飯が食べられる。明日の食事を心配しなくてよい。それが当たり前になっている自分の価値観はおかしいのでは?」と思うようになりました。

そんな考えを経て、アメリカの大学院で国際開発学を勉強することを決意。アメリカに行くもう一つの理由は、色々な人がいるアメリカで「自分の価値観を壊す」ことでした。

ではアメリカで、私の価値観は変わったのでしょうか?

(つづく)

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